2021/08/31 08:00

高野口パイル織物の歴史


Taenaka No Nuno」の商品アイテムで使われている生地を生産する「妙中パイル織物株式会社」がある和歌山県橋本市の高野口と呼ばれる地域は、日本一のパイル織物の生産地です。

 

パイル織物の製品は、高級毛布、車や電車のシート生地、インテリア用品、寝装用品、化粧品など広い分野で愛用されています。

 

古くは、平安時代後期から高野山への参詣口だったことから、その名がついた高野口。江戸時代から紀州藩の綿花栽培推奨もあり、「川上木綿」として、農家の主婦が自分たちのために織物を織るようになり、やがて耕地の少ない農村の副業として自立するようになります。

 

明治10年になると地元の豪商「前田保助」がスコットランドで生まれた両面パイルのシェニール織を改良した「再織(さいおり)」という手法を創案。

 

「再織」とは、一度織り上げた生地を紐状に裁断し、再び織り上げることからその名前がつきました。独特の肌触り、風合いが生まれ、吸水性にも優れており、今のパイル織物のルーツとなっています。

 

この「再織」は、世界的に見てもチェコスロバキアやスコットランド以外に類の無い手工業的な織物として、当時の外国商館よりカーテン、テーブルクロスなどの注文を受け、アメリカに輸出されて好評を博しました。そして、高野口の一大産業として広がっていきます。

 

大正時代に入り、より新しい織物の研究が行われ、量産可能な機械化時代に突入します。昭和の初めにドイツから導入された二重パイル織機により、高野口は、日本で屈指のパイル産地を形成していきます。

 

 

パイル織物は、その後も研究が重ねられ、様々な素材での開発、技術の進歩による織機の進化により、アパレル、インテリア、車両、雑貨、おもちゃ等幅広く世界中で様々な製品に活用されるようになります。 世界のハイブランドからもオーダーが

中で様々な製品に活用されるようになります。

 


世界のハイブランドからもオーダーが




第2次世界大戦後、安価な輸入品が大量に押し寄せ、高野口の繊維工場は、激減します。

さらに様々な生地や素材が開発されて、パイル生地に変わる製品が作られ、パイル生地そのものの需要が減ってきます。

 

そして現在では、パイル生地を織る工場は、世界的にみても少なくなってきました。

 

Taenaka No Nuno」で使われている布を生産している妙中パイル織物(株)では、そんな時勢の中でも、世界最高品質のパイル織物を研究し、新しい製品を次々と生産してきました。

 

生地にあわせて技術の改良を行い、織機に通す糸の準備だけで、34日かかるほど。一つの生地ができるまでに織るのはもちろん、製品になるまでに、たくさんの工程で、たくさんの職人の手による作業が行われています。

 

そして、その丁寧な製品づくりに世界中のデザイナーからオファーが寄せられています。

 

素晴らしい生地をつくる技術を未来に残す






そんな日本が誇る素晴らしい生地をつくる技術を次世代につないでいくために、世界が認める最上級の技術で織られた生地を日常にさりげなく落とし込んだのが「Taenaka No Nuno(タエナカノヌノ)」の商品アイテム達。

 

製品に使用している生地の立体感を表現するために、2枚同時に真ん中をカットしながら織るという特殊な技術が使われています。

 

糸から染色、反物にするところまですべての工程を自社で行っています。

2020年に行われた第90回東京インターナショナル・ギフト・ショーでは、長年高級ソファの張地等に使用されてきた「ネオプリンセス」という生地を使用したスクエアバックMサイズが「ギフトショーのベスト匠の技賞」に選ばれました。

 

Taenaka No Nuno(タエナカノヌノ)」は、本物の技術が持つ素晴らしさがわかる方にお届けしたいアイテムです。